鰻・若松商店について

創業から現在までの歩み

当社は、明治のはじめに初代小澤養七が
松島周辺で獲れた天然鰻を漁師から仕入れ、料亭などに卸したのが始まりです。

当社の屋号は「若松商店」ですが、代表者の名字は小澤です。
初代小澤養七は若かった頃に子供がいなかった若松家に養子に入りました。
その後、若松家では子供が生まれたため、若松養七は姓を小澤に戻しました。
しかしお取引先からは、「若松さん」と呼ばれていたため、
そのまま屋号を「若松商店」としました。

戦前、鰻の販売では輸送で苦労していたそうです。
今では宅急便で発送した翌日には配達になります。
当時、北海道の根室に船で数日かけて行商をしていたそうです。
北海道の函館には、国鉄の貨物列車に鰻と一緒に人も乗り込み、
寒い貨車の中で竹籠に入った鰻に柄杓(ひしゃく)で水をかけながら届けたそうです。

昭和30年頃から、松島湾周辺では商売が成り立つほどの
天然うなぎが獲れなくなりました。
松島でも同業者の多くが鰻の取り扱いを辞めていきました。
当社では、養殖した鰻を静岡から仕入れることで危機を乗り切りました。

1989年(平成元年)法人化